オーストラリアの5か月間で学んだこと
オーストラリア生活5か月間で学んだことを書いていく
➀他人の事なんか気にするな
オーストラリアでは、たくさんの人と出会った。その中で、皆に共通していたことがある。それは、誰一人として、他人と比較していないということだ。
みんな、「自分がどうしたいか」を基準にして物事を決めていた。自分の意見を持っていない人は、逆に取り残されていく環境であった。
➁嫌ならやめればよい
日本では、会社を辞めたくてもやめられない風習が未だに残っている。しかし、オーストラリアでは、「嫌ならやめればよいじゃん」という考えが一般的であった。嫌なことをし続けるよりも、「自分がやりたいこと」をする方が幸せである。
③英語力よりもコミュニケーション力
よく海外で暮らすには、英語力が大事だと言われる。確かにそれは間違っていない。しかし、私が一番大事だと思うのは「コミュニケーション力」である。いくら英語を話せても、英語を使って積極的に話しかけに行く「コミュニケーション力」が無ければ、海外では置いてきぼりにされると感じた。
私がオーストラリアで日本語を教えて感じたこと
私は22年4月25日から8月19日までの約4か月間
オーストラリアのウドンガという人口4万人ほどの小さな町で
日本語を教えていました。
教えると言っても、あくまでもALT(Assistant Language Teacher)の
立場なので、メインの先生の補佐をするのが主な仕事になります。
今回は、このウドンガでの4か月間で感じたことを書いていこうと思います
良かった点
➀個性を大切にする
オーストラリアの教育現場は、生徒の個性を大事にしていると感じた。
簡単な例を挙げると服装、髪型だ。もちろん、一定のルールはあったが
日本の校則に比べたら本当に緩いルールだった。
また、オーストラリアの生徒は、授業中にずっと絵をかいてる子がいたり(授業中なので本当はダメだが),ルービックキューブをしている子がいたり、得意なことを授業をサボってまでしている子が多かった(学校によって異なる)。もちろん、授業を集中して聞いていないのは問題である。しかし、得意なことを夢中になってやっている姿は、日本ではあまり見られない光景だと感じた。
さらに、日本の教育現場では、先生が生徒を当てるときは「正解は何でしょう」と聞くことが多いのに対して、オーストラリアでは正解ではなく、生徒の意見を聞くような質問が多かった。日本のように1つの正解に固執する教育方針も子供の個性を潰している原因の一つだと感じる。
➁先生と生徒が良い意味でフレンドリー
オーストラリアでは、生徒は先生の事を下の名前で呼ぶ。もちろんMrやMsは付ける。
また、挨拶をする際は、日本のようにおはようございますだけではなく,「How was your weekend?」のようなyes,noで答えられない質問を生徒と先生同士が頻繁に行う。
このように生徒と先生の距離が近いからこそ、授業形態が受動的ではなく能動的な授業になっているのだと思う
悪かった点
➀片付けやごみをゴミ箱に捨てられない子が多い
これは僕が、オーストラリアの学校で一番驚いたことである。これの原因の一つとして、オーストラリアでは教室の掃除を生徒ではなく業者が行っていることが挙げられる。また、人や場所に対する敬意が日本人の子供と比べ圧倒的に少ないと感じた
➁子供の食生活が悪い
オーストラリアには給食が無い。その代わりにCanteenという校売がある。校売で
購入しない子は家からランチを持参している。ここまで聞くと問題なさそうに聞こえる。しかし,問題なのは食べているものである。昼ごはんなのに、ポテチだけを食べている子や、チョコバーを食べている子などバランスのと取れていない子がたくさんいた
シドニーに3週間住んでみて感じたこと
シドニーでは3週間、語学学校に通いながら、
ギリシャ人の老夫婦の家にホームステイをした
今回はシドニーでの3週間で感じたことを
良かった・悪かった点に分けて書いていこうと思う
良かった点
➀都会の便利さと自然の豊かさを兼ね備えている
シドニーは都会の便利さと自然の豊かさを兼ね備えていた。中心部に行けば、
東京や名古屋のような活気にあふれている。
しかし、すこし電車に乗って郊外に行くと
世界遺産のブルーマウンテンをはじめとした大自然にあふれている。
こういう面では日本の大都市にはないメリットだと思う
➁多様なバックグランドを持った人々であふれている
シドニーには、たくさんの移民がいるため、本当に多種多様な人がいる。
それは人種に関わらず、職業やファッションなどさまざまである。いろいろな人たちに囲まれて過ごしていると、自分の悩みがちっぽけなものに見えてきて、過ごしやすいなと感じた。
悪かった点
➀人が多くて落ち着かない
都会育ちではない私にとって,大都会シドニーはとにかく
「騒々しい」都市であった。どこに行っても人がたくさんいる。そんな環境が
私には合わないと感じた。
➁喫煙者やポイ捨てが多い
これは日本でも同じかもしれない。
僕が休学を決断できた理由
僕は,2022年の4月から大学を1年間休学している.
休学の目的については前回の記事で書いた.
休学というのは自分にとって大きな決断であったし
簡単にできた決断ではなかった.
今回は,休学を決断するにあたっての不安と,不安があったのにも関わらず休学を決断できた理由を書いていく.
不安
不安➀ 大学院の研究を1年間ストップする必要がある
僕は理系の大学院生だったので研究室に所属していた.僕の研究室は、学部4年から大学院修士卒業までの3年間、同じテーマの研究をするのが慣例だ.僕が留学を開始したのは大学院1年の4月だったのでもろに、研究を途中でストップする必要があった.1年間も研究をしなかったら,学部4年の頃に身に付けたことをすべて忘れてしまうのではないかという大きな不安があった.
不安➁ 1年間を無駄に過ごしてしまう可能性がある
これは,よく聞く話だ.休学したのにもかかわらず,何も得られなかったらどうしようという漠然とした不安もあった.僕は修士課程に進むため,ただでさえ就職するのは一般的な人より2年遅い24歳のとき.それに加え,休学までしてしまったら,就職するときの年齢は25歳になってしまう.これくらい大きなリスクがあるのだから,休学するからには,なにか大きな学びや成長を得なければいけないというプレッシャーにも襲われていた.
それでも休学を決意した理由
理由➀ 人生は一度きり(YOLO)
人生は一度きり.You only live once.
やらずに後悔するくらいなら,やって後悔すれば良い.だって人生は一度きりだから.
休学に対する数々の不安よりも,「留学をしなかったことを後悔する将来」の方がリスクだ.正直.休学が自分のためになるかなんてどうでもよい.
それよりも、休学をしなかった自分を後悔したくない。
この気持ちが自分を休学へと導いた.
理由➁ たかが1年
1年の休学と聞くと,1年間が長く聞こえる.しかし,長い人生の中での1年間は誤差みたいなものだ.たかが1年間の休学のために悩むのはもったいない,そう思えるようになった.仮にこの1年間が無駄な1年になっても,それは人生80年間分の1.それを気にするくらいなら,一日24時間の中で無駄に過ごしている時間を削った方が有意犠だ.
休学の目的
休学の目的について書いていく.
まずは結論から
休学の目的2つ
- 英語の本場で英語力を伸ばすため
- 海外で結果を出すことができる人材になるため
目的➀ 英語の本場で英語力を伸ばすため
今の時代,日本にいても、暇なときに独り言を言ったり,英語の音声を聞いたりすれば,国内で、海外と同水準の英語環境を手に入れることはできる.
では,英語の本場で英語力を伸ばすことのメリットは何か
それは以下の2つである
1.圧倒的なスピードで英語力を伸ばすことができる
これは当然です.24時間英語に囲まれて生活するのだから.
日本にいても.暇なときに独り言を言ったり,英語の音声を聞いたりすれば,国内にいてもある程度の英語環境を手に入れることはできる.
ただ、そこまでの労力を日本にいながら割くのは本当に大変なことであるし,成長スピードが速い環境が目の前にあるのなら,それを選択しない理由はない.
だから,海外に行って本物の英語環境に飛び込んでしまったほうが
手っ取り早いと私は思った.
2. 本場の英語表現を学んでみたかった
これは,言語学習をしていると出会うことのある願望だ.
ただ単に意思疎通をするだけであれば、ネイティブが使うカッコよいフレーズは必要ない.英語をある程度勉強してきた僕にとっては,ネイティブが実際の会話で使う表現を肌で感じながら学んでみたかった.
目的➁ 海外で結果を出すことができる人材になるため
日本は人口減少により今後、国内での消費が落ち込んでいくと言われている.
すると、日本の市場を中心にビジネスを展開してきた日系企業は,海外売上比率を高めていく必要がある。つまり、今後は国内のみならず、海外で結果を出すことができる人材が多く求められる。また、海外に限らず、今後は、国内の労働力不足により,日本国内の外国人の割合が増えていくと予想される。つまり、今まで以上に外国人と働き結果を出すことができる人材が求められている。
日本で結果を出したことこともないのに,いきなり海外で結果を出すことを考えるのは順番が違うのではないかと言われたことがある.しかし,それは違うと思う.海外で結果を出すことができる人材は日本でも結果を出すことができると考えるからだ.
以上の2つが大きな目的である